2024年12月低山はいかい
横須賀市浦賀界隈の自然と歴史を訪ねる
(2024年12月22日(水)実施 天候:晴
【開催場所】神奈川県横須賀市浦賀
[実施概要] ペリー来航で知られる浦賀。その自然に触れながら、古くから地政学的な役割を担っていた同界隈の歴史を訪ねる。明治期陸軍が建設した西洋式の砲台、千代ヶ崎砲台、江戸時代に浦賀港の入口燈明崎に建っていた燈明堂の跡、源氏の再興を願って僧文覚によって造営され、双方の神社に詣でることでご利益があると聞く東西の叶神社を訪ねる。
京急浦賀駅に集合。まず、千代ヶ崎砲台へ。千代ヶ崎砲台は1892(明治25)年から3年をかけて陸軍が建設した西洋式砲台である。 標高約65mの山上に、摺鉢状の砲座が三つ南北に並び、1砲座に2門ずつ榴弾砲が設置され。地下には煉瓦の壁とコンクリートの天井を持つ掩蔽部や弾薬庫が造られていた。弾薬庫に残る砲弾を供給するための揚弾井や砲台内部に造られた給排水のシステムなどが残り、日本の近代の軍事や築城技術を理解するうえで重要であるため、2015(平成27)年に国の史跡に指定された。日本遺産の構成文化財でもある。無料のガイドツアーがあり、それを利用した。東京湾を守る要として “要塞の島”であった猿島と雰囲気が似ている。
千代ヶ崎砲台から燈明堂へ道端の植生を観察しながら歩いた。トベラ・ハマウド・マサキ・スイカズラ・ヤマブドウ・イヌビワ・タブ・ヤマモモ・ハゼ・クコ・カンツバキ・ハマヒサカキ・ハマユウ。
燈明堂は、江戸時代に浦賀港入口の燈明崎に建っていた灯台で、石垣を土台とした二階建てであった。明治5年(1872)4月の廃止まで、約220年間にわたり夜間の海上安全の守り役として活躍し、我が国の灯台史上で貴重なものである。
その後、東西叶神社を参拝した。東叶神社の祭神は応神天皇で、養和元年(1181)、文覚上人が源氏の再興を願って石清水八幡宮を勧請したことに始まるといわれる。その後、源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれるようになったと伝えられている。背後の明神山山頂に奥宮があり、傍らに「勝海舟断食の場」の標柱が立つ。よく保全された自然林で、樹種も豊富である。特にウバメガシの自生は、県内ではここと城ヶ島だけで、分布の北限とされている。この学術的に貴重な場所は、「県指定天然記念物・叶神社の社叢林」となっている。
ペリー来航の浦賀の町で歴史と自然を感じつつ、有意義な一日であった。(写真:トベラの葉と果実・浦賀水道を背景に参加者のみな様)
【参加者】7名 幹事:熊木、小菅、平野、広川、田川、スタッフ:福重、室伏